必ず合格できる医学試験の対策【講師から学ぶ重要性】

医学本来の姿

綺麗な公園

東京に限らず、医学部予備校には通う必要がありません。 特に年齢が若いうちから、予備校に通うことは、経済的損失も大きいといえるでしょう。 成績がよければ当然予備校に通う必要はありませんが、成績が悪い人も、本来であれば、自分で勉強するのが好ましいと言えるでしょう。 受験勉強を学問と考えることは、効率という観点から見れば、良くはありません。若い高校生にとって、受験勉強は、学問というよりはゲーム感覚でするものでしょう。それゆえに、偏差値のような、わかりやすい指標があることが、受験勉強のゲーム化を促しているのではないでしょうか。 しかし、本来は、勉強や学問というものは、好奇心と繋がっているものです。好奇心は、ゲーム的に消費されるものではありません。そしてそれは、ゴールのない青天井なのです。 医学部受験も同様で、医学部予備校に通うよりは、自分で伸び伸びと勉強するべきなのです。東京にいれば誘惑は多いかもしれませんが、それに打ち勝ち、自分で道を切り開いてこそ、自発的な人生が待っているのではないでしょうか。

これは医学部受験も同様です。医学部予備校に通い、効率的にカリキュラムを消費し、効率よく医学部にパスし、効率よく医師になる。そのような人も一方では、確かに必要でしょう。しかしこの場合、医師が社会のために多くを犠牲にする形となっています。 また国立大学医学部の年齢差別に加え、新卒一括採用も同様で、これが若者を鎖に縛り付け、彼らを受験や年齢ひいては「効率」といったものの奴隷に変身させてしまっているのです。 何百万といった高額な授業料を、医学部予備校に支払い、東京の一等地で優雅に授業を受ける。これでは本当に人が育つことはありえないでしょう。日本の教育は、高校生を、野に放つべきです。差別も競争も関係ない、知の青天井を、子供に体験させるべきです。 そして学問は、そのとき、本当に人々の希望として機能しはじめるのです。学問の世界においては、競争や差別など関係ありません。主体性を取り戻して、自由に振舞うことが許される、それが本来の知的空間なのです。それは、今の東京の一部の医学部予備校のような、スタイリッシュな空間ではありません。